どうせなら笑って過ごそうよ!

闘う杏子さんのお話 日常の中の笑いの数々 笑って過ごしても泣いて過ごしても同じ一生。それなら笑って過ごしたい!

エピ50 猫と鼠は仲良く喧嘩しな!

月曜日の朝っぱらから、杏子のデスクに向かって、ぬき足差し足と近寄ってくる四角い顔のおっさんが一人いた。
両手には、最近新発売の缶コーヒーを一本ずつ握っていた。
近くまで来て、やっと杏子に声をかけた。
「杏子ちゃん、忙しい?」
進藤さん以外の何者でもない。
「暇そうに見えますか?」
と冷たく答える杏子。
「もう、つれないねぇ。これでも飲んで一息つこうよ。」
と杏子の前の椅子に腰かけ、缶コーヒーの1本を杏子に差し出した。
「どうしたんですか?いきなり朝から。何かあったんですか?」
缶コーヒーを遠慮なく受け取って杏子は尋ねた。
「杏子ちゃんさぁ、窮鼠猫を噛むって言葉知ってる?」
思いもかけぬ進藤さんの切り出し方だった。
「なんとなく… 弱い相手だと思って追い詰めたりすると、いきなり反撃してくるとかってやつですよね?」
杏子は答えた。
「そうそう。相手が自分より弱いと思って追い詰めると、相手はいきなり反撃に転じる事もあるんだよね。ちゃんと相手の逃げ道を作ってあげないとさ、たまに手痛いしっぺ返しを食らうんだよ。この前さぁ、香港タイガー航空会社の貨物予約の担当の女の子で、結構その子も鈍くさい子なんだけどね、JK貨物サービスっていう代理店の男がさ、いつもその子に高飛車に話してたらしいんだよね。その子も基本素直な子で、なんか言われる度に、すみませんとかいいながら聞いてやってたんだって。ところが、JK貨物サービスの男がさ、調子に乗って、ブス、バカやローとか電話口で言ったらしいの。そしたら、その女の子が豹変してね、ぼろくそ文句言って、そのあと上司にも訴えたんだって。そしたら、JK貨物サービスは香港タイガー航空会社に出禁になっちゃったらしいよ。おまけに、その評判が航空会社の貨物営業連中にみんな知れちゃって、総スカンで、そいつ他の部署に回されったって話だよ。おれも気を付けようっと。」
進藤さんは一方的にしゃべりまくった。
そして、缶コーヒーを一気に飲み干すとたちあがって、
「まぁ、杏子ちゃんも気を付けてね。」
杏子は、何を気を付けろと言われてるのか理解不能ながらも、
「進藤さんもね。」
と返しておいた。
進藤さんはレポートの文章も意味不明だが、たまに、話す事も意味不明で終ることがある。
もっと核心だけズバッと言って簡潔に済ますことはできないものか。
杏子はもらった缶コーヒーのプルタブをピッと引っ張り一口飲んで思った。
そして、まぁいいかと自分がやりかけていた仕事に戻った。
進藤さんがなぜそんな意味深な事を杏子に言ったのか理由が分かるまでさほど時間はかからなかった。
それから、10分もしないうちに、杏子のデスクの電話が鳴ったのだ。
出ると、貨物予約の上村さんだった。
そう言えばいつもならもういるはずの彼がいない。
上村さんは、
「中野さん、おはようございます。今朝から具合が悪くて、今日病欠にさせて下さい。
進藤さんにもそう伝えていただけますか?」
といきなり言った。
「え、大丈夫なの?進藤さんいるけど電話回そうか?」
「いえ、話したくないのでいいです。病欠とだけお伝えください。」
そう言うと、上村さんは電話を切った。
杏子はまず、その件をタンさんに伝えた。
その次に、進藤さんに内線で電話して伝えた。
「上村君、なんか言ってた?」
「いえ、特に…ただ、具合が悪いとだけ言ってました。」
「あ、そう…ありがとう」
進藤さん、やけに力ない返事だった。
そこで杏子はやっと気が付いた。

たぶん、上村が進藤を噛んだ。

一体何があったのだろう?
きっと金曜日杏子が帰った後に何かあったのだ。
そのうち誰かに聞いてみようと思いながら、杏子は午前中の仕事を片づけた。
その誰かは決してタンさんではなかった。
ところが、タンさんは思いのほか事情通だった。
杏子が昼過ぎに中国茶のポットにお湯を足してタンさんに運んだ時、
タンさんは独り言のように杏子に言った。
「金曜日の夜、ウエムラがシンドウに怒鳴ってたらしいよ。」
心なしかうれしそうにも見えてしまうタンさん。
「上村さんはそんな感じの人じゃないですけど、何かあったんでしょうか?」
と杏子がしらじらしく聞くと、
「なんかウエムラをバカにするような事言ったらしいよ。シンドウはそれで慌ててタナカに金曜日の夜相談したらしい。」
ということは、情報源はまたたぬきおやじか。
本当に口の軽いおやじめ!と思いながらも、
タンさんの話に興味津々の杏子だ。
「いつも素直に聞いてる彼が怒るなんてよっぽどひどい事言ったんだろうね。いつも結構言われてるけど、プッとむくれるくらいで終ってたのに。シンドウもちょっと調子に乗ったんだろうね。いい薬だよ。どうするんだろうね。ウエムラ辞めたりしないかな。ははは。」
なるほどね!
杏子はすっきりした気分だった。
進藤さんは今朝杏子に自分がいかに後悔してるかを話したかったのだ。
でもたぶん全部話せなかったんじゃないだろうか。
そして週末ずっと悩んでいたんじゃないか。
タンさんはこのいざこざを楽しんでる節があって、人の不幸は蜜の味って本当だなと杏子は思った。

上村さんは、純粋な日本人なのだが、日本人離れをしたルックスをしている。
とにかく顔が濃いのだ。
東南アジア系とかミクロネシア系とか言われている。
杏子はラテンアメリカ系だと思っていた。
進藤さんの遠回しだけど嫌味な感じにも何とかつき合って頑張ってこれまで来た上村さん。
ラテン系なので根に持たないのかと杏子は思っていた。
今は、彼なりに何とか我慢していたのだとやっと分かった。
進藤さんにはいい薬だったかもしれない。
実際、進藤さんはかなりへこんでいた。
その日一日、進藤さんはずっとオフィスで貨物の予約の電話を取っていた。
いつもなら、朝から営業に出て夕方まで戻ってこない進藤さんがだ。
時々、電話を切った後にため息を漏らしているのまで杏子に聞こえてきた。
でも杏子には何も手伝ってあげることはできない。
したがって、妻に家出されて困っている夫のような状態の進藤さんを残して杏子は会社を後にした。

翌朝、杏子がいつものように会社に着くと、珍しく、オフィスの鍵が既に開いていた。
中に入ると、マクドナルド独特の匂いがしてきた。
見ると、進藤さんと上村さんが朝マックしていた。
きっと進藤さんがごちそうしたのだろう。
2人でいろいろ話込んでいた様子だった。
杏子が、
「あれぇ、今朝はお2人とも早いですね。おはようございます。」
と声をかけると、両名ともにっこりと杏子にむかって、
「おはようございます!」
と返してくれた。
復縁したらしい。
どうやって仲直りしたかは杏子には分からないが、猫と鼠は仲良くなったようだ。
これでしばらく猫は鼠を追い詰めることが無ければいいがと願う杏子だった。