どうせなら笑って過ごそうよ!

闘う杏子さんのお話 日常の中の笑いの数々 笑って過ごしても泣いて過ごしても同じ一生。それなら笑って過ごしたい!

エピ43 - シートマスクと調教師

総務経理部長の方は思いの他すんなり決まってしまった。
田中さんはどの候補者も甲乙つけがたいと言っていた。
それは本当だった。
タンさんも同じようなことを杏子に話していたからだ。
だとすると、決め手は何だったのか?
杏子は折を見て田中さんに尋ねてみた。
「一言で言えば、くそまじめな所だな。写真見りゃわかるだろ?1ミリ狂っても許せない感じのやつだよ。この会社は結構自由だろう?でもね、ピシッと締める人間も必要なんだよ。バランスっていうのかなぁ。誰かが間違った方向に行っちまったら、気がつかせてくれるようなね。無理やり戻すんじゃなくて、ちゃんと本人が自主的に軌道修正出来るように仕向けることができるしたやつがいいよね。そう思わない?」
田中さんはいいことを言った。
だが、田中さんは大体そのままで終わらない。
自分で持ち上げ自分で落とすのだ。
「ほら、あの外人細かいけど、所詮外人だからな。そしたらさ、俺だけだろう?」
と言うから、思わず杏子は聞き返した。
「何が俺だけなんですか?」
「何言ってるの杏子さん。びしっと締めてるの俺じゃないかよー。はっはっはっ!」
「俺も普段営業で中にいないしさ、代わりに軸になる人が必要だったんだよ。」
杏子は笑って、何も言わず、かといって首を縦に振るわけでもなく、あえて横にちょこんと傾けてみた。
玉虫色の反応と言うこところだ。
だが、そんなことを気にする田中さんではない。
「だからさ、この名取総一郎という銀行の頭取みたいな名前のやつに決めたんだよ。
タンさんも同じこと考えたようだよ。意見が割れなくてよかったよ。」
たぶん名取さんを採用するにあたっては、意見の食い違いは全くなかったのだろう。
杏子はさっき聞いた田中さんの問題発言は闇に葬ることにした。
名取さんは、37歳。
外資系の銀行員だ。
英語は堪能。経理畑に精通している。
見た目は、見事なまでのぴっちりオールバックヘアで黒ぶち眼鏡。
その眼鏡の奥の2つの目には、右に誠、左に実と文字が浮き上がりそうな感じだ。
杏子はタンさん、田中さん両方からの全く同じ指示という面倒くさい状況で、早速採用通知と入社前健康診断の案内を準備した。
ただ、総務経理部長採用は実はさほど急を要するものではなかった。
むしろ、辞めた倉本さんの後任の空港スタッフ採用の方が切実だった。
なのに、タンさんはもう一度面接と筆記試験をすると言うのだ。
しかも、秘密裏に進めている採用のはずが、たぬきのおかげで生中継でもされてるんじゃないかと思うくらい情報がダダ漏れていた。
競馬にたとえるのは不謹慎だが、一番人気は美人と評判の松島由利亜さん25歳。
次点は面接官に面接会場のど真ん前で丁寧に挨拶したにもかかわらず、スルーされた皆川正蔵さん24歳。
次点とはいっても、二人しか残っていない。
この2名にはタンさんの指示により、杏子が電話を入れて翌週のいずれかの日にオフィスの来れないかと都合を聞いていた。
タンさんはそれぞれ別の日に、オフィスに来てもらいたいと言うことだった。
具体的な準備はタンさんが勝手にやっていた。
杏子はタンさんがどんな試験をするつもりなのか全く知らされていなかった。
だから、彼らにはオフィスに来るようにと伝えるだけだった。
空港オフィスの刈谷さんは、しょっちゅう杏子に電話してきていた。
いつ頃決まるのと毎回聞いてくる。
杏子はいつももうすぐと答えていた。
詳細は杏子の口からは言えないとも伝えていた。
タンさんに直接聞いてくれとも言った。
いくら空港ではハンドリング会社がいろんな業務をやってくれるとは言え、社員が1人では激務過ぎる。
すべての指示を刈谷さんが出さなければいけない状況だ。
体がいくつあっても足りないはずだ。
刈谷さんだって、もう限界だろう。
杏子にしても、この二人の内どちらかは採用されないのだから、電話で不採用を伝えることになるのだ。
嫌な役回りだと思った。
最初に2次試験に来てくれたのは松島さんだった。
彼女は最初の面接の翌週の月曜日を希望してきた。
旅行代理店勤務でちょうど月曜日が休日出勤の代休だったとのことだった。
約束通り、翌月曜日の午後3時に彼女は裏のスタッフ専用入り口から入って来た。
杏子が裏に直接来るように伝えてあったのだ。
すぐさま支社長室へ案内した。
そこでタンさんとの面談がまずある。
そのあと、隣の会議室に移動してもらい筆記試験だ。
杏子はその日初めてタンさんが具体的に何をしようとしているか分かった。
筆記試験は小論文形式だった。
与えられた時間は一時間。
お題は、困難なお客様への対応は何をすればいいのかと言う非常にざっくりしたものだった。
これは難しいと杏子は思った。
杏子は時間になったら、終了を伝え、本人にはお帰りいただき、用紙を回収してタンさんに渡すと言う流れだった。
実物の松島さんは写真以上にきれいで可愛い女性だった。
そして、礼儀正しく謙虚で好印象だった。

皆川さんは木曜日を希望した。
彼は百貨店勤務でたまたま木曜日が休みだったのだ。
こちらもシフト勤務の休みに合わせたくれた。
杏子は興味津々だった。
履歴書の写真の皆川さんは、見たところごく普通の20代のちょっとぽっちゃり目の男子だった。
それが本人だと全く気が付かない程度の人相ってどんなんだろう?
そして当日、スタッフ入口のドアをノックして入って来た男性は確かに別人だった。
写真のふっくらした天真爛漫な笑顔の青年は、むしろやせ過ぎで頬はこけ、年齢よりもずっと上に見えた。
どうしてこんなにやせちゃったのだろう?
一体あの履歴書の写真はいつの物なのだろうという疑問さえ湧いてきた。
思わず、
「お写真とはずいぶん印象が違いますね。」
と杏子が口に出してしまうほどだった。
すると皆川さんは言った、
「あの写真はアメリカ留学から戻って来てすぐの写真で、いちばん太っていたころなんです。就職したら3食きちんと食べて間食しなくなったので、めきめきやせちゃって。あんな写真使うから、この前素通りされたんですね。すみませんでした。」
ほんとにそうだ。
それまでに写真撮る暇ぐらいあっただろうに。
杏子は経歴詐称にあたるのではないかとすら思った。
とりあえず謎が解けてすっきりした杏子は、彼を支社長室へ案内した。
彼も面接を終えて筆記試験へと進んだ。

こうして二人の2次試験は終わった。
皆川さんが帰った後、1時間ほどしたころ、タンさんが呼んだ。
「ちょっとこの2つ読んでみてくれる? そこに座って。」
渡されたのは、松島さんと皆川さんの小論分だった。
もちろん英語だ。
松島さんの解答は、女性らしいきれいな文字でレイアウトも美しく文章も素晴らしかったが、どこか具体性に欠ける感じがした。
皆川さんの方は若い男性らしく元気あふれた大きな文字で、一文一文は短めだが、なかなかに要点を捉えていた。
だた、最後の方で時間が足りなかったのか、大慌てで締めくくったのが丸わかりだった。
最後が唐突に終わっていたのだ。
杏子がタンさんに、
「読みました。」
と伝えると、タンさんは別に杏子の意見を聞きたかったわけではないようで、
「皆川さんにしようと思う。異論はあるかな? まぁ最後の方で慌てふためいていたところは気になるけど、内容がしっかりしていると思う。」
と言った。
杏子に異論はなかった。
そして、松島由利亜という美しい女性候補は散ってしまった。
なぜか進藤さんのがっくりする姿が目に浮かんだ。
翌日には、彼女に電話をして結果を伝えなければと思った。
もう一方の皆川さんには、採用決定の通知と入社前の健康診断の案内をしなければいけな
い。

ついに、タンさんの旧正月の休暇を挟んだ長い採用過程が終わった。
刈谷さんは、やっと新たな部下を得て落ち着ける。
これでお肌の手入れもゆっくりする時間が出来ることだろう。
この前電話で話しした時に、聞きもしないのに、肌がぼろぼろになってシートマスク代が
かさんで来たとぼやいていた。
杏子は刈谷さんがそんなにお肌の手入れに力を入れていることにかなりのショックを受けた。
1人の女としてほとんど何もしていない自分がちょっと恥ずかしくさえ思ったものだ。
良かった。
これで刈谷さんのシートマスク代も少しは押さえられるのではないかと思った。

一方、これまで放し飼いだった五島さんにはいよいよ調教師がつくことになった。
絵にかいたようなくそまじめな名取さんだ。
これからの五島さんから目が離せない。
ほくそ笑む杏子だった。
杏子さんもお人が悪い!
なんて思わずつぶやく杏子。
ふと顔を上げると真正面に帰り支度をして立ち去る寸前のタンさんが立っていた。
杏子は驚いて若干椅子ごと後ろにのけぞった。
「なんか楽しいことでもあったの? 僕はもう帰るけど、何かある?」
と言われた。
「いいえちょっと思い出し笑いでした。すみません。何もないです。また明日。」
と答えた。

もうすぐ桜が咲くころだ。
去年の今頃は何をしてたのだろうとふと考えた杏子だった。

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