どうせなら笑って過ごそうよ!

闘う杏子さんのお話 日常の中の笑いの数々 笑って過ごしても泣いて過ごしても同じ一生。それなら笑って過ごしたい!

秘書の落胆 - 時は確実に流れるのだ (エピ39)

「ねぇ、杏子さん。あの外人、採用の件やってんのかな?」
田中さんが朝出社するなり杏子に尋ねた。
それは杏子も気にしていたことだった。
「どう考えても、まだみたいです。今のところ何も言ってない。戻って来てからまだ2日過ぎたところだから、これからなのかなと思ってました。」
「俺、聞いてみるわ。また、例によってのんびりしてんのかもな。採用すれば明日からでも仕事しに来てくれると思ってんだよ。決まってからでも最低1カ月はかかるからな。」
田中さんはやけに意気込んでいた。
きっと、タンさんが出社したら、すぐに話すつもりなのだろう。
2月ももう中旬にさしかかろうという時期だ。
どんなに急いでも、今から募集広告を出して締め切るまでに1週間、書類選考にさらに1週間、そして面接の手配から終わるまでで1週間は必要だろう。
倉本さん退職までには間に合わないことはとっくに確定していた。
一年のうちで、1月と3月の間で2月の存在感はとても薄い。
2月は油断するとすぐ終わるのだ。
他の月よりわずかに2-3日少ないだけなのになんでこんなに早く感じるのだろう。

タンさんは余程切羽詰まらないと慌てない人だ。
そういう性分としか言いようがない。
秘書である杏子は身にしみて感じている。
これまでも、何度か本当にハラハラ、イライラしたことがあった。
だからこそ、採用募集の件で一向に慌てる気配が無くても杏子は驚かなかった。
ただ、時々刈谷さんのことを思い出してはどうしようと思っていた。
田中さんも同じ気持ちだったのだろう。
そんなことを考えながら、朝までに入って来たメールをチェックしていると、タンさんがオフィスにご到着だ。
旧正月の休暇が余程楽しかったのか、やたら元気に見えた。
ハイテンションが持続しているのだ。
どんな楽しいことがあったのだろう?
タンさんはいつものように杏子と挨拶を交わし、支社長室へ入って行った。
そこまでは極めて普通のいつもの光景だった。
ところが、そのあと、田中さんがいきなり、支社長室をノックして中に入って行った。
話の内容は杏子には分かっていた。
田中さんはタンさんとごそごそ会話を交わして、すぐに出てきた。
顔を見ると、満足げな横顔だった。
ありがとう田中さん!
たぶん今日中に杏子に何らかの指示があるのだろう。
杏子にとっては名誉女友達である刈谷さんの悲しむ顔は見たくなかった。
彼だって一カ月ぐらいは1人で頑張れるかもしれない。
でも、後これくらい我慢すればいいからと言われないと苦しくてしょうがないだろう。
よかった。
一歩前進だ。
その日の内に、タンさんは杏子に採用募集についての指示をした。
内容はあらかじめ田中さんと話していたので全部わかっていたが、そんなそぶりをみせると途端に機嫌が悪くなる恐れがあるので、いかにも初めて聞いたようなふりをした。
杏子にこんな小芝居をさせるなんて本当に手がかかる。
タンさんは本当にプライドが高いのだ。
英字新聞社には田中さんが連絡してくれた。
翌週月曜日に掲載とのことだった。

いったん募集広告を掲載すると、その水曜日にはすでに数通の応募書類が届き始めた。
いつでも出せるように準備していた人なのだろう。
その宛先は、採用係となっていた。
採用係とは杏子の事だった。
五島さんにはあらかじめ伝えてあった。
言っておかないと五島さんは間違いなく開封して書類を隅から隅まで見て楽しむ。
杏子には分かっていた。
やつはそういうことを平気でやる男だ。
危険極まりないやつだ。
五島さんは杏子の指示に素直に従って毎日封筒を運んで来た。
応募書類は個人情報満載なので慎重に扱わなければいけない。
これに目を通すのは、タンさんと田中さんだけだ。
最終的な決定権はタンさんにあった。
今回の件では、本社の人事は採用過程には関わらないことになっていた。
杏子は開封する手前、中身を見ないわけにはいけないのだが、ちらっとは見ては、なるべく素早く受付日だけを書類の右上に記し、個別ファイルに分けて入れた。
書類は届くたびに、とりあえずタンさんに渡した。
タンさんは自分のデスクの引き出しにまとめてしまい、鍵をかけて保管した。
応募締切日は翌週の月曜日必着となっていたので、この手順を月曜日まで続けた。
その時点では、タンさんだけが書類に目を通していた。
そして火曜日になると、タンさんと田中さんが仲良く朝から支社長室にこもり書類選考を
始めた。
午前中の部が終わったのは、午後2時頃だった。
杏子には2人とも目が落ちくぼんでいるように見えた。
そして、2人でこれまた仲良くランチに出て行った。
元来、気が合わない2人だが、両方とも仕事に関しては厳しくプロフェッシ
ョナルに徹している。
もめる可能性があるのは昼に何を食べるかくらいのことだろう。
本当に取るに足らぬつまらないことが原因なのだ。
その辺の幼稚園児のケンカぐらい程度が低かった。
きっとあまり会話も無く食事するのではないかと杏子は思った。
案の定、わずか30分ほどでランチから戻って来た。
すぐに、また支社長室にこもりっきりとなった。
田中さんがせいせいした顔で出てきて、ドアを開けっぱなしのままにした時には、午後5時を過ぎていた。
田中さんは支社長室から出てくるなり、
「杏子さん、やっと絞り込んだよ。あ~疲れた。明日からあんた面接の案内の通知用意して発送だから忙しくなるよ。よろしくね。」
と杏子に一言言って、自分の席に戻って行った。
久しぶりにあんたと呼ばれた。
ちょっと懐かしい響きだった。
そう言えば、採用面接の時いきなりあんた呼ばわりされた。
そんなことをふと考えていたら、
「ナカノサン!」
とタンさんが呼ぶので飛んでいくと、
「お湯足してくれる?」
中国茶のカップを指差した。
2人がランチに出かけた間に、一回お湯は足していたので、それで2回めだった。
さぞかし喉が渇いたことだろう。
早速お湯を足して持って行くと、
「書類選考は、結構疲れる。本当にこの人を落としていいのかと悩むことが多かったよ。結局、倉本の後の候補はこの8人。来週水曜日にしたいから、場所をタナカに聞いて予約してくれ。そして、総務経理課長は この6人。これは木曜日。それぞれ45分ずつ取って、次の候補者までの間隔は15分にして。タナカが手順は分かっているから。」
さらにタンさんは続けた。
「念のため、落とした人の中に、君の感覚でこの人は残してもいいと思う人がいれば言ってくれ。会議室でじっくり見てくれないかな?」
と面接用の14人以外の、応募書類も渡された。
そんなことは杏子には予期せぬことだった。
緊張してしまう。
全部の書類を持って会議室に入り、ドアを閉めてテーブルに置いて、一件一件に目を通し始めた。
確かに杏子から見ても、どこか条件に合致しない人ばかりだった。
刈谷さんと一緒に仕事するには年が上過ぎたり、前職がどれも期間が短く転職を繰り返す人、または、経歴が立派過ぎてなんでまたこのポジションに応募したのかと思う人、そして全く畑違いの世界にいる人。
本当はこの中にいい人がいるのかもしれない。
でも、面接の時間を費やすほどかと言うとそれには及ばないと判断されたのだろう。
杏子は納得した。
一方、書類選考を通った人を見ると、なるほどと思う面々だった。
そうか、こういう基準で見るのかと感心した。
少しだけ、杏子は不謹慎な妄想をした。
面接で田中さんがタンさんの横から、
「あんた、そっち系?」
と聞いてしまう場面が浮かんで来たのだ。
あのおやじやりかねない。
いつか釘を刺しておこうと考える杏子だった。
空港スタッフ候補者は男女半々だった。
半分を占める男性候補の中に刈谷さんが興味を持ちそうな人はいなかった。
はっきり言って、ルックス的にかなり難ありばかりだった。
人柄のよさそうな人ばかりなのだが。
男性候補者の皆さんごめんさない。
杏子は心の中で謝った。
見ず知らずの人をこんな形で値踏みするなんて…
自分はそんなに上から人を見降ろすような人間ではない。
むしろ、そうならないように気を付けているつもりだった。
相手の気持ちになって、対応しないといけない。
深く反省。
すべての書類をしっかりと持って会議室を出て、タンさんに書類を渡しながら
自分の感想を述べた。
タンさんは納得して、書類を受け取り、自分の引き出しにしまって鍵をかけた。

翌日は、まず田中さんの指示で、ホテルの会場を押さえた。
相変わらず、そういうところにお金をかけることをためらわない会社なのだと実感した。。
ただ、経費をケチって、オフィスで面接なんてことになったら、その人はスタッフ全員の目に触れることになってしまう。
誰かの知っている人だったり、同業他社だとかなり気まずい状況だ。
彼らが応募したという事実は世間に知れてはいけないのだ。
とても重要なことだった。
だから、外の会場を押さえることは仕方ないことなのだろう。
だいたい、五島さんや三丸さん、そして進藤さんあたりは、絶対わざとらしくその辺をうろちょろするに決まってる。
そんなことさせるか!
杏子は全身全霊候補者をお守りする覚悟を決めた。
場所を押さえると、次はスケジュールを組まなければいけない。
タンさんから候補者の書類を受け取り、会議室に入り、それぞれの時間を振り分け、順番を決めた。
遠い地域に住んでいる人は遅めの時間にした。
10時から開始で、午前中は2人、後6人は午後に回した。
1人当たり予備の時間も含めて45分、15分の休憩を入れて、次という流れだった。
そうすれば、候補者同士が遭遇と言うことも避けられるはずだった。
面接自体は長くても30分ほどだろう。
次の木曜日分も同様に振り分けた。
丸一日かけて通知の書類を作り、封筒に入れ、切手も人数分を五島さんにもらい、全部自分1人でやった。
封筒に手紙を入れる前に時間が本当に間違っていないか何度も見返した。
手紙には、面接に来れる場合には一度杏子に電話するようと電話番号を入れてある。
あまり時間が無いので速達で出さなければいけなかった。
杏子は近くの郵便局まで行き、速達用の郵便ボックスにすべて投函した。
責任重大な仕事だった。
採用する側の人間として働くことは始めてだった。
ついこの前まで逆の立場だったことを考えると感慨深いものがあった。
今この会社で働く機会を与えられた事を改めて感謝した。
全部の準備が終わって、スケジュール表のコピーをまず田中さんに渡した。
田中さんは満足げに、
「おつかれ!」
と言った。
次に、タンさんにも同じものを渡そうと支社長室へ持っていった。
タンさんは、
「いろいろありがとう。で、面接日はいつだったっけ?」
杏子は、
「来週の水曜日と木曜日です。」
と答えたが、内心嫌な予感がした。
この人自分で言ったこと忘れているのかと驚いてしまった。
タンさんは、
「あれ?そうだった?」
とふざけているのか何なのか分からないことを言った。
そして、
「あっ!ごめん、水曜日ゴルフの約束入れてた!」
と決定的なセリフが出た。
杏子は自分の両目じりがぐぐっと上に釣り上がるのがわかった。
鏡を見なくても絶対怖い顔になっていると感じた。
それを察したのか、タンさんは杏子を見ない。
タンさんは、自分のスケジュール帳をみながら、
「そうそう。大使館の人とゴルフの約束入ってる。どうしよう。」
とつぶやいた。
杏子は何も言わなかった。
呆れて何も言えなかった。
凍りついた沈黙。
「大使館に電話して、断らないと。」
まだ一人つぶやくタンさんを目の前にして、杏子は無言を貫いた。
自分で落とし前付けろと杏子は目で語った。
「本社との重要会議が入ったと言おう。」
どうぞそうしてください!
杏子はさらに目で語った。
「面接は、この日とこの日だね。よし、わかった。」
分かったとおっしゃいますが、とっくに分かっていたでしょ?
杏子の視線をタンさんは全身レーダーで受けていたのだろう。
その証拠に、若干小さくなって予定表を書き直していた。
採用面接という大事な日にダブルブッキングしていたタンさん。
大使館員とのゴルフがそんなに大事だったのか?
それとも採用自体がそんなに大事でなかったのか?
緊迫した一日の最後が、こんな情けないオチで締めくくるとは…
最後の最後でがっくりきた一日だった。

時はすでに3月半ばだった。
倉本さんの送別会はとっくの昔に終わっていた。
楽しい送別会だった。
そして彼は関西へと帰って行った。
採用面接の準備がやっと終わったころには、倉本さんが退職してもう2週間も過ぎていたのだった。

やっぱり、全然間に合わなかった…


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