どうせなら笑って過ごそうよ!

闘う杏子さんのお話 日常の中の笑いの数々 笑って過ごしても泣いて過ごしても同じ一生。それなら笑って過ごしたい!

秘書の底力 - それぞれの事情(エピ35)

タンさんは半年ぶりに本国に帰国した。

これから2週間、杏子は留守を守らなければならない。

田中さんが支社長代理として助けてくれる。

 

朝、田中さんはオフィスに入って来ると、

「おっ、杏子さん。今日はのびのびしてるねぇ。」

と話しかけてきた。

「そんなことないですよ。これからちゃんと留守を守らないといけないし。何も起こらないといいですけど。」

杏子は返した。

「大丈夫だよ。心配しないでのんびりしてよ。毎日あの外人にあれこれうるさく言われてたからね。それぐらい許されるよ。」

田中さんの言葉に、杏子はにっこり笑って、ちょっとだけ頭を下げた。

ありがとうの気持ちを体で表現したのだ。

2週間はあんたが支社長だからね。よろしくご指導くださいね。」

とんでもない!

今度は目を丸くする杏子。

それでも田中さんが心配してくれてるのがよく分かった。

「杏子さん、後でちょっとだけ打ち合わせしようか?ほら、あの外人、採用の件ほったらかして、飛んで行っちゃったからさ。」

相変わらず口が悪い。

思いっきり、タンさんのことを外人と呼んでいた。

 

その後でと言うのは結局田中さんが営業から帰って来てからとなった。

田中さんはもともと杏子たちの採用面接など全部自分で準備した人だ。

採用の進め方については誰よりも分かっていた。

タンさんが戻って来るまでに、ある程度準備が出来れば、新しい人を見つけるまで、ずるずると遅れることは避けることができるかもしれない。

なんと言っても、ソラリアタイムのタンさんだ。

何度お尻を叩いても、重い腰を上げない。

再入国許可の件では、本当に大変だった。

あの時は杏子が睨みを利かせて何とか終わらせた。

だが杏子は分かっていた。

タンさんはそれを何度も繰り返す。

なぜなら、それは彼の国民性と言うよりもヒューマンネイチャー(本能)だからだ。

そう簡単に変えられるものではないことは十分に分かっていた。

秘書である杏子がそこに注意してあげる他ない。

そのためにも秘書がいるのだ。

 

杏子は自分が優秀な秘書とは思っていない。

大体、秘書の仕事は何だという説明が自分の中でまだ出来上がっていなかった。

理解するということは、言葉でちゃんと説明できることだ。

いかに自分が分かっているつもりでも、それが他人に分かるように話せなければそれは分かっていないことになる。

入社してほぼ半年過ぎたが、今でも日々の仕事で精一杯だ。

その事に加えて、異なる個性の集団の中でうまく折り合いを付けまとめて行かなければいけなかった。

様々なものが折り重なるように成り立っている。

だから人生って面白いのかなと壮大なことを考えたりする。

今の状況がハッピーかアンハッピーかと尋ねられたら、杏子はアンハッピーではないと答える。

たぶんハッピーなのだ。

ただし、プライベートが充実しているかは未だに微妙だった。

 

杏子が、タンさんが不在の間に片づけたいと思って作っていたTO DOリストに従って、ファイリングや、自分なりの書類のテンプレートを作ったりしているうちに午後4時を過ぎていた。

そして、田中さんが営業から帰って来た。

田中さんは典型的な営業マンだ。

朝オフィスに出てきて、メールチェックや書類の整理をして、すぐに営業に出かける。

彼の持論は、

「営業はね、顧客に毎日顔を見せることが大事なんだ。仕事の話を真面目にする必要はない。

毎日毎日なんか仕事ないですか?なんて聞き続けるのは大馬鹿もんだよ。顔を覚えてもらって、仕事がある時にまず最初にあいつに話そうって思ってもらうことが大事なんだよ。結局人間だよ。だから、俺は代理店の人間とお茶飲んだり、パチンコ言ったり、床屋行ったりもしてる。ソラリア航空の田中を印象付けてるんだよ。水沢君にも日中オフィスにいるやつは営業マンじゃないぞって言ってある。進藤君もそうだろ?まぁ、あいつの場合、朝から来なかったりするのはいただけないけどね。」

田中さんには自分なりのしっかりした営業哲学があった。

杏子はそのぶれない田中さん哲学には尊敬すら感じていた。

なかなかの曲者風でありながら繊細な部分も持っている。

時々田中さんにからかわれることも、杏子は決して嫌いじゃなかった。

むしろ、どう立ち向かうか楽しみだったりした。

 

「杏子さん。ちょっと待って。俺、先にメールの返事と折り返しの電話済ませるから。

10分。そしたら会議室でお茶でも飲みながら打ち合わせしよう。」

 

「はい。わかりました。じゃあお茶だけ入れておきますね。あわてなくていいですから。」

 

「オッケー。ありがとう。」

 

オフィスには皆がそれぞれ自分用のマグカップを持って来ていた。

杏子のは、ちょっと見栄張ってウエッジウッドのお手頃ラインのやつだ。

田中さんのは、あり得ないくらい可愛いムーミンの絵が付いたものだ。

彼が愛してやまない娘さんがくれた物だそうだ。

そこになみなみとお茶を入れて会議室でのんびり待っていた。

 

「わりぃ。わりぃ。待たせちゃって。」

田中さんが慌ててやって来た。

別に急いでないから慌てなくてもいいのに。

「倉本君2月末で辞めるんだってな。彼、面接の時に接客業はあんまり得意じゃないとは言ってたんだよな。」

「それ知ってて、よく採用しましたね。なんか他にこの人がいいと思う理由があったんですか?

杏子が聞くと、田中さんはしばらく躊躇してから話し始めた。

「あいつね、関西から逃げてきたんだよ。学生時代からの彼女と結婚してさ。彼女がね、神戸の有名なカバンのメーカー、ほらあのイチゴマークで有名な。なんだっけ。あそこの社長の1人娘だったんだよ。大学4年の時、妊娠させちゃってさ。で、彼女の親が焦って、急いで結婚させて、卒業と同時にその会社の将来の社長候補ということで、営業から始めさせられてね。いわゆるマスオさん生活だよね。家は2世帯で、始終彼女の親が出入りするから落ち着く場所がなくて。仕事でも義理のお父さんの下だろ。子供が生まれてからは、ご両親が入りびたりでさ。とっくに煮詰まってたんだよ。もう駄目だと思って、とにかくその状況から逃げたい一心で、昔から憧れてた航空会社の仕事探してたんだってさ。関西にいるとどうしても義理のご両親から逃げられないからって、東京で就職しようとしたらしい。奥さんと子供は付いて来てくれなかったらしくて、結局ずっと単身だったんだよね。まぁ、留学経験あったから英語は流暢だし。面接でその事情を話すわけだよ。かわいそうで採用しちゃった。」

そんなお涙ちょうだい的な理由で採用されることってあるんだ!

この会社の基準って何なんだ!

杏子は自分の身に当てはめて考えてみた。

そして聞いてみた。

「田中さん、私の他に強力な候補者いたって言ってましたよね。秘書の。なんで私に決まったんですか? 」

言った後に、こんなストレートな質問していいんだろうかと思った杏子。

「うーん。もう1人の子はね、英語もペラペラで、どんな質問もテキパキと答えてたんだよ。本社の人事部長はその子にしたいみたいだった。でもさ、俺思ったんだよ。その子人の気持ちを察するようなタイプかって。どう考えても、自分が、自分がってアピールするタイプで、秘書としても、航空会社の社員としても、絶対ダメなタイプだったんだよな。」

「杏子さんの場合はね、よく覚えてるけど、早めに来て場所探してたら、俺がいきなり現れて面接会場に引っ張り込んだだろう? あんた、おどおどしながら、ペコペコしててさ。質問にも、丁寧に一生懸命答えてさ。年収で答えられなくて泣きそうな顔しててさ。なんか、この子は他人の気持ちになって考えられる子だと思ってさ。思わず、助け舟出しちゃって。あれ、だれが見ても、やばかったよな。答え教えてるようなもんだから。うっかりやっちゃった。で、人事部長にも絶対杏子さんにしろって脅してやったよ。」

そうだったんだ。

目に涙がたまって来た杏子。

「あんたはものすごく頑張ってるよ。朝も早く来てるし。タンさん結構難しい人だろ? うまくやってるよ。毎日よく怒られてるけどね。俺,見る目あるよね。はっはっはっ!」

まずい!涙が一すじほっぺたを流れた。

「泣くことないじゃないか。俺いじめたかな?

「いいえ。」

やっとのことで返事した。

こんな展開になるとは思っていなかった。

「まいったな。倉本の代わりの採用の話したかったんだけどな。」

「杏子さん、女が会社で泣いても可愛いのは25までだよ。それ以上はみっともないよ。」

「ひどいっ!セクハラで訴えてやる。」

泣き笑いに代わった杏子。

やっと落ち着いた。

 

「倉本さん、あっちに戻ってどうするんですか?まさか、鞄の会社に戻るんですか?

 

「そう言ってたよ。他に行くとこないもんな。家族もいるし。」

 

「俺あのワグナーさん事件の後、あいつと話ししたんだよ。この仕事向いてないと悩んでた時に、あの事件があって決定的だったそうだよ。これで気持ちが晴れたんじゃないかな。逃げてもしょうがないってさ。きっと航空会社でちゃんとやって、あっちを見返したかったんだろうけど、世の中なんでもうまく行くわけじゃないんだよ。あいつにはいい勉強になったんじゃない?

刈谷がかわいそうだから早く次の人決めないとな。」

 

「どうしましょう?

杏子はやっと本題に入れた。

 

「まぁ英字新聞に広告だな。それが一番まともな奴が集まるから。紹介とかは変なの来る可能性高いんだよ。あとは、刈谷の好みじゃない男だな。それか女。そこ大事だぞ。」

 

確かに…

 

人生の中で印象的な出会いはそんなに多くない。

この田中さんに巡り合えたことは、間違いなく運命が導いてくれた気がする。

この人がいなかったら、まだ仕事探していたかもしれない。

こんなタヌキおやじじゃなかったら、絶対恋してた。

やばかった。

よかったタヌキで。

 

この場面で、またまた不謹慎な杏子だった。